千夜一夜物語と図書館司書資格取得について語るブログ

千夜一夜物語(アラビアンナイト)と図書館司書資格勉強について投稿します。

千夜一夜物語の発端と大ブームの火付け役「思い込みによって紡がれた千と一の夜」

    こんにちは。

    絆創膏です。

 

    千夜一夜物語の発祥はもちろん中東とされていますが、現在、これ程までの知名度を得ている理由は、意外にもヨーロッパにあるようです。

    今回は、千夜一夜物語の発端や、千夜一夜物語をヨーロッパに広めたあるフランス人についてお話しします。

 

千夜一夜物語の発端

    現存する千夜一夜物語最古の文字資料は9世紀のもので、パピルスではなく、紙に書かれたものの一部が残っています。

    後述するアントワーヌ・ガランが翻訳に使用した写本(現存する千夜一夜物語写本として最古)が、千夜一夜物語の初期形態に最も近いとされていますが、中東での千夜一夜物語成立史はほぼ分かっていないのが現状です。

    アッバース朝時代に「アルフ・ライラ(千の夜)」という物語集が存在しており、おそらくはインドやペルシャに起源を持つ物語がアラビア語訳されたもので、これが千夜一夜物語の核となったのではないかとも言われています。

 

千夜一夜物語の火付け役、アントワーヌ・ガラン

    アントワーヌ・ガランは、ルイ14世の時代の東洋学者です。ガランが1704年に千夜一夜物語アラビア語から仏語に翻訳し、出版したところ、フランス宮廷で大ブームとなりました。フランス宮廷は当時のヨーロッパ文化をリードしていた存在でしたから、このブームはヨーロッパ中に広まっていったわけです。

    ここから約150年後に発表されたアレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯巌窟王)』で、主人公の偽名として「船乗りシンドバッド」という名前が出てきます。わずか150年で、ヨーロッパではシンドバッドという名前が一般的なものとなったようです。

    ガランは、千夜一夜物語を翻訳する以前に、シンドバッドの翻訳を行なっていました。完成原稿を印刷業者に渡した際、千夜一夜物語という物語集の存在を知るのですが、なぜか、シンドバッドの話はその一部であると思い込んでしまいます。千夜一夜物語の写本を入手したガランは、それらを翻訳した2巻を出版。シンドバッドの話はその後、千夜一夜物語の3巻として出版されました。

    実はシンドバッドの話は、現在では千夜一夜物語の一部ではないという見方が有力です。千夜一夜物語にあるはずの夜の区切りもありません。そこでガランは、勝手に夜の区切りをシンドバッドの話にも入れてしまったのです。

    また、シンドバッドが物語集の一部であるということだけでなく、もう一つ、ガランは誤解をしていました。千夜一夜物語は本当に千一夜あるということです。ガラン写本と呼ばれる、ガランが翻訳した写本は282夜分しかありませんでしたが、千夜一夜と言うからには千一夜に渡る物語があるのだろうと思い込んでしまったのです。

    アラブ世界での千一という数は、「多数の」という意味があるようです。日本語の「五万とある」のようなものでしょうか。「巨万とある」とも書くようですが。まぁ「万」って入ってるし同じようなものか(適当)。

    すなわち、「たくさんの物語が含まれている」という意味で「千夜一夜」物語なのではないかと現在では言われています。

    しかし、千一夜分の話を記した写本があると確信していたガランは、その写本探しを始めます。しかし中々見つかりません。ガランは、シリアのアレッポ出身のキリスト教徒、ハンナ・ディヤーブから口述で物語を聞き取ります。これらも物語の中に含め、明らかに当初手に入れた写本よりも長い物語をガランは執筆したのでした。

    また、「アラジン」「アリババ」や魔法の絨毯が登場する「アフメッド王子と妖精バヌー」といった、現在でもメジャーな物語がガラン版には含まれますが、これは元の写本にあったものではなく、今では本来の、大元になったアラビアンナイトには含まれていないという説が一般的です。

    ガランがヨーロッパに千夜一夜物語を紹介したことで、ヨーロッパでは、完全な千夜一夜物語の写本、ガラン版の続きとなる写本があるのではないかという先入観が生まれ、様々な人がまだ見ぬ写本を求めました。

    今日、私たちが読んでいる本当に千一の夜に渡る「千夜一夜物語」は、このアントワーヌ・ガランがヨーロッパに送り出した「千夜一夜物語」によって、長い時間をかけて多くの人々が紡いできた物語なのです。

 

☆感想

    ガランさん、結構自由な人というか、今だったら炎上しそうなこと平気でやりまくってますね。

    写本の物語をかなりいじくったりもしてたみたいですし、シンドバッドの話に勝手に夜の区切り加えて、しかもそれについての説明はなかったようです。この時代だとよくある事だったんですかね…?

    とはいえ、ガランさんがこのようにめちゃくちゃやってくれなかったら、今この世にアラジンやアリババ、シンドバッドは知られていないかもしれません。ある意味、今の千夜一夜物語の原著者と言ってもいいのかもしれませんね。

 

【参考文献】西尾哲夫(2007)「アラビアンナイトー文明のはざまに生まれた物語」岩波新書.

                      ロバート・アーウィン著,西尾哲夫 訳(1998)「必携アラビアン・ナイト物語の迷宮へ」平凡社.