千夜一夜物語と図書館司書資格取得について語るブログ

千夜一夜物語(アラビアンナイト)と図書館司書資格勉強について投稿します。

セクシーなイメージが付いたのは何故「アラビアンナイトのエロティックな魅力②」

 こんにちは。絆創膏です。

 だいぶ間が空いてしまいました。

 エロティシズムから見るアラビアンナイト、2回目です。

 

 前回は、意外とアラビアンナイトは官能的な内容だということ。そして、禁欲的なイメージのあるイスラム教圏内で、どうしてそのような内容の作品が成立したのかふわっと考察してみました。

 

↓ 前回

https://cut-bann.hatenablog.com/entry/arabian_night_adult

 

 今回は、なぜ表紙や挿絵に登場する女性の服装・見た目がセクシーなのか、調べてみたのでお話しします。

 

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 バートン版アラビアンナイト7巻の表紙です。セクシーですね。

 

 表紙・挿絵に登場する女性がセクシーということは、アラビアンナイト自体にそのようなイメージが持たれている(もしくは、そう望まれている)ということになります。

 アラビアンナイトの現存する最古の文字資料は9世紀ごろのものですが、世界的に有名になるきっかけは、1704年にフランスの東洋学者であるアントワーヌ・ガランが仏訳本を発表したことでしょう。しかし、ここから暫くは好色文学というイメージではありませんでした。内容自体がエロティックという話もしましたが、実は、ガラン版はその辺は割とソフトな内容で書かれているそうです。シェヘラザードにしても、最初期の挿絵ではフランス宮廷風の衣装を着こんでいます。

 ではいつから好色なイメージが付いたのか。

 大体はバートン、そしてヨーロッパから見た中東観の変化が主な要因とされています。

 サー・リチャード・フランシス・バートン(1821~90)は、イギリスの冒険家です。この方自身についてはWikipediaでも見てください。

 バートンは1885~88年にアラビアンナイトの翻訳を発表しました。バートン版は性的な個所を強調したり、場合によっては加筆したりもされています。冒険家であったバートンは中東の風俗にも詳しく、バートン版アラビアンナイトには、かなり細かく注釈が付けられています。特に性風俗関係については、より細かい印象を受けます。

 現在でも読まれている翻訳本の中でもメジャーなバートン版ですが、このような好色文学が目を引いたというだけでなく、当時のアラビアンナイトとして知られていた話のほとんどが内容に含まれていたということがその理由として大きいようです。アラビア語写本の中で、ヨーロッパでは最もメジャーなカルカッタ第2版を底本としている上、これに入っていない物語も6巻から成る補遺に収録しています。

 また、ヨーロッパの東方趣味(オリエンタリズム)は18世紀ごろから盛んになっていましたが、19世紀には新しい段階に入りました。ナポレオンのエジプト遠征などにより、それまで幻想の世界でしかなかった東方が一挙に現実的なものとなったのです。その結果、東方のハーレムやその性的開放への憧れから、オリエンタリズムはリアリズムとファンタジーに二重化し、むしろ幻想は強まりました。バートン版は19世紀後半の作品ですので、ちょうどこの頃の民衆の熱と合致したのかもしれません。 

 

 このようにバートン版の出版とそのブーム、ヨーロッパの中東観の変化などから、アラビアンナイトは好色的なイメージを持たれたとされています(諸説あるかもしれませんが)。

 

 上述のようにバートン版は好色的な面が強調されていますが、翻訳した人や対象者(児童文学か大人向けか、など)によって、だいぶ中身の印象は変わってきます。それに応じてか、シェヘラザードが描かれた挿絵も良妻賢母なイメージや好色、純真無垢に描かれたものなど、画家により様々だったりします。

 

 日本では、現在手に入りやすい和訳が2つとも(バートン版とマルドリュス版)好色系というのも、セクシーなイメージを助長しているかもしれません。ヨーロッパでは、あらかた有名どころの訳が出そろった20世紀に入ってからは好色文学のイメージが強くなっていたということですし、現在でもアラビアンナイトの世界観を逆輸入し、観光に役立てている中東ドバイで、観光客向けにベリーダンスを披露するレストランがあるなどということを踏まえると、海外でも同じようにセクシーなイメージを持たれていそうです。デ〇ズニーの「アラジン」のジャスミン姫のコスチュームもセクシーですしね。1923年にロデリック・マックリーによって描かれたシェヘラザードはほぼ全裸で、好色ここに極まれりといった感じです(不夜キャスさんがえっちな服装なのもうなずける…)。

 

 ヨーロッパの中東に対するイメージという点では、1875年にウォルター・クレインが描いたアラジンの服装はどこか中国感のあるものとなっています。19世紀に入り東方世界が近しいものになったとは言っても、案外細かいところまでは認識していなかったようです。

 

 ドバイのベリーダンスに触れたので、少し気になって調べてみましたが、ベリーダンスは紀元前からのエジプトの伝統芸能みたいです。イスラム原理主義者からはよく思われていないようですが、一般的なイスラム教徒からは黙認されているようです。ただ、結婚式のような特別な場限定で黙認されているらしいので、やっぱり基本的にはあのような格好で不特定多数の前で踊るというのはNGなんですね。

 

 千夜一夜物語イスラム教徒の方達が多く出てくるので、日本人では理解し難い価値観や行動も、イスラムの価値観を勉強すれば、理由が見えてきそう。ひとまずはコーランを知るために何か読んでみようかな。

 

★参考文献

 西尾哲夫 著(2007)「アラビアンナイトー文明のはざまに生まれた物語」岩波新書

 海野弘 解説・監修(2016)「オリエンタル・ファンタジー アラビアンナイトのおとぎ話ときらめく装飾の世界」(株)パイ インターナショナル